• 2016/10/20/Thu 12:13:46
  • COMMENT:1
  • TRACKBACK:0
  • CATEGORY:刺繍とか


今日はいつもお世話になっている猫写真家ばんひろみさんの
小さな個展「玩味の猫 -点猫・12-」へ行ってまいりました。
本当につくづくプロは違うと感じます…。外にゃんことの信頼関係も感じ取れます。
ばんさんの猫写真はにゃんこにちゃんと骨と肉を感じるのですよね。
にゃんこはほわほわした毛の塊ではなく しなやかな肉感や骨の固さを伴っており
抱けばあたたかいであろう体躯と外を歩いてひんやりしている足先の温度の違いが
いつも即座に伝わってきます。なぜなんだろう。
この方の写真にはいつもそういう事が目から真っ先に飛び込んでくるのです。

私の好きな花ちゃんが表紙のカレンダー等ゲットして参りました~。

neko_R.jpg

バナナのピンは一緒に行った長女が選んだもの。髪長いのでお団子に刺したいそうです。
小さな個展の開かれている可愛い雑貨屋さん「ひなた」さんは谷町六丁目。

もうちょっと電車に乗り続けるとFっち先生の事務所のあるところなのです。
全然別々に起こった様々なことや人が何となくつながっているようにも見えて不思議なものです。
私は狭い世界に住んでるなあといつも感じますがその狭い世界の端にさえめったに行かない出不精なので
今日は疲れました。

最近ちょっと腹の立つような追記ばっかり書いていて
小さいことにも怒りっぽいおばさんになっているのか?更年期障害??などと考えたりもしますが
今日も「なんだかな~」シリーズ。私気にしすぎ?
でもちゃんと我が身も振り返って考えるから まあ気にしなさすぎよりいいかな。

**********

今期の「朝ドラ」。私はテレビあんまり見ないのですが
テーマではなくともそこにつながる大切な鍵として「刺繍」が出てくるというので今の所見ています。

オープニングの画面を彩るスパンコールやビーズの刺繍は可愛いと思います。
ドラマの中でお屋敷に住んでいたころに調度品として出てきたレースの類、
豪華な寝具やドレスや靴は目の保養になりましたし
飾られる刺繍のタペストリーや可愛い麦わら風丸いお裁縫の道具入れは
戦争が終わってその後の長い昭和のなかでフツーの家庭の女の子たちにも普及していった
小物でありとても懐かしく感じます。
それにここのところ登場するようになった手作り写真入れ(今日は仲間が増えてました)
これはスーツなどから布をとったのでしょうか
ツイードの平織やヘリンボーンの品の良い色合いの布に
うますぎる職人テイストではなく
うますぎない、むしろちょっと雑、しかし決してキッチュでなくお嬢さまテイストからずれてない
中々の小道具に仕上がっていると思います。

これはドラマです。ですので
売り物の写真入れの角をもう少しきちんと出したらどうだろうかとか
ウールへの刺繍はやりにくいものだけど小さいものだからもう少し細かくすれば?とか
ランニングステッチはもう少し揃えたほうが可愛いよ!とか
新品、あるいは糊が良く効いている浴衣をばらして作っている
ちょっと硬そうなおむつ、そこ、例の折伏せ縫いみたいに縫い代くるんで上をなみ縫いしてたけど
そんなに固いなら一針ずつ針を抜いたらいいよ!続けて運針しなくていいよ!とか
色々つっこんじゃいけないです。
戦後すぐで便利なアイロンも芯地なんかも無いでしょうし(でもヘラはあるだろ?目打ちもありそうだぞ?←ツッコミ)。
あれはあれで正解であると納得しないといけません。
(ドラマの中の裁縫やミシンの場面はいつもツッコミどころ満載です。
自分は気にならないほかの分野でもきっとそうなのでしょう。)

しかし今日はちょっと「なんか、なんかな・・・」と主人公のように思ってしまう部分がありました。
以前靴屋さんが「上手く作ろうと考えるのではなく相手への思いを込めて一生懸命作るのが大事」みたいなことを
小さな主人公に語っていました。 これは間違っていないと思います。
でも「相手への思いを込める」って具体的にどうすればいいのでしょうか。

例えば好きな相手に編んでるセーター(昭和…)なんてものなら
相手のこと考える、楽しいことを思い出す妄想する…などしつつ「好き好き好き好き・・・」って編むんでしょうか。
恐ろしいけどまあわかります。でも出来上がったものを一度洗ってスチームアイロン掛けたら
何となくそういう呪縛のようなものも結構落ちてる気がします。
ですので「相手への思いを込める」というのはそんな自分の気持ち詰め込むんじゃなくて
相手の好みを考えたり似合いそうな色や形にするとか
着心地よさそうな軽くて暖かい糸奮発するとか
相手が着て恥ずかしくないようにちょっとでも綺麗な編み目にしようと練習を積んでから編むとか
そこいらへんが「思いを込める」という事だと思います。

今日のドラマのおしめの場合なら
「元気な赤ちゃん産まれてね」とか「お母さまもお健やかに」とか
そういうこと考えつつ縫う・・・ということが浮かびます。
あげる(売る)相手が決まっているので まあそれでもいい感じはします。
でもそんな解答全然ダメです。

「考えつつ縫う」というのは「その言葉を祈りつつ縫う」のではないです。
小さな娘が母親に贈るためにおむつ縫ってるのではなくて
大人が知人に贈る(売る)ために縫うのですから
縫い代がゴロゴロ肌触り悪くならないように気を付けてなるたけ平らになるように縫う、
その縫い目も(そうすることが赤子の肌に悪いというのであれば致し方ないですが)
なるべく揃って美しいのがいいんじゃないかとも思います。
縫い目が固くなっちゃいけないですからすごく細かい縫い目も考え物ですが
あんまりざくざくだと洗ったらすぐほつれそうですし
縫い縮みの無いようよく縫い目しごきつつ同じ調子で柔らかく美しく縫う…とか
使い心地や使う人の気持ちを考えて作ることが「思いを込める」ってことなんじゃないかなーと思うわけです。
書いてて思うけどそんなの当たり前だろ!

そこで私が今日「なんかな」と感じたのは
主人公がおむつを縫う時靴屋さんに教えられた言葉を唱えつつ作っていた、という場面です。
確か「一針一針思いを込めて」とか何とかいいながら縫っておられました。
…いや、手芸って、そりゃー細かな作業をみんなでするとき
手が慣れてくれば多少口を動かしてもできないことはないかもですよ。
でも、でもね、やっぱり喋りながら真剣に縫えないです。
ただの波縫いだって喋りながらやってる時多分「思い込めて」ないです。
編み物だって喋りながらやってたらたちまち間違います。

私は「しゃべるな」って言ってるのではないのですよ。
「思いを込めて」と言ったり思ったり祈ったりしながら作ることが「思いを込める」ことじゃないだろ?って言いたいのです。
これではさっきの編み物の「好き好き好き・・・」と大して変わらないのではなかろうかと感じます。

「思いを込めて」と同義語に「心を込めて」というのがあります。
刺繍の仕事をしていると知らない所で記事を書いてくれる人がいます。
私を取材して書かれた物にはあんまりその表現は出てないと思いますが
リアルねこシャツを見たこともない人が全く独自に私の刺繍を解説してくれているようなことが時々あって
そうするとそのライターさん自体が刺繍やったことあるのかないのか知りませんが
一般的な概念でしか刺繍を表現できないためなのか
「一針一針丁寧に心を込めて刺繍してあります」などと書いてくれちゃってあります。
私はこの言われようがあまり好きでは無です。私の刺繍を知っている人が言ってくださるのは嬉しいですよ。
知らない人にそう表現されるのが嫌なのです。
「一針一針丁寧に」まではいいです。
このライターさんにとっての「心を込めて」がどういう意味だと思ったのかを聞かせていただきたいのです。
なんだか「好き好き好き・・・」みたいなことのように思われているような気がしてならないのです。

私は刺繍する時「心を込めて」刺さなくちゃ!なんて思っていません。
いつもここで言っていることでありますが
私が刺繍するのは自分が上手になりたいという動機がまずあってやっていることです。
そして靴屋さんの教えに言葉上背くようですが
「上手に作りたい」とも思います。というか売り物なんだからそれはむしろ責任です。

シャツの刺繍をする時は注文主さまに気に入っていただけるように、ということだけが
私の最大でほとんど唯一の目標になります。
だからといってそのために「気に入って下さいますように!気に入って下さいますように!」
なんて祈りながら刺しているわけではないのです。
少しでも写真そっくりに、そして活き活きとさせるには
この部分の色はもっと明るくしよう、ここは見た目より彩度を下げた方が雰囲気が出る、
ここの針目はもっと細かくしなければ駄目だ、ここはこの写真の通りの毛の流れで刺さなければ似てこない・・・
などと常に考えながら挑戦するように刺しているのです。
刺繍って目は疲れるし手は荒れるし針は刺さるし始終座りっぱなしで眉間にしわ寄せて刺すものです。
(そうじゃない人もいるだろうけど)
私は肩は凝らないほうですが「もう晩御飯用意しなくっちゃ」となる頃にはくたくたになっています。
それが私の「心を込める」なのですよ。
「心を込めて」なんて唱えている暇はないのです。
私の刺繍や私が刺繍をしている姿を見たことのないライターさんにこのことは実感してはいただけないと思います。

なので本当に今朝は放送を見て「思い込める」という行為が説明の無いまま
具体的な形を持たずもやもやした「なんとなくイイ言葉」みたいな理解で使われてしまっていて
本来技術や工夫や努力があってこそ初めて込められるものであるはずの「思い」を
薄っぺらい短冊に書いた願い事レベルで扱っていたように思えてしまって
非常に残念に「なんかな」と感じたのです。

「おいしくな~れ」と言ってかき混ぜても料理の味に変化無いように
「思いを込めて」なんて言葉自体は効力のある呪文でも何でもないのです。

この主人公さんはやがて子供のための服を 子どもと着せる大人の両方の立場に立って様々考え
その思いのこもった良いものを作って成功していく物語であるのだから
これからその「思いを込める」とは主人公にとってこういう事なのだというのが分かる描写が
出てくるんだろうと思いますが もしかして出てこないまま
でもやっぱり大事な言葉としていつの間にか身についてたりしちゃうのかな、
いやまさか既に身についてることになってるのかな、とややもやもやしております。
あのおむつ制作場面に「思いがこもっている」とするなら
縫い物の奥深さや靴屋さんの大事なキーワードを軽んじてるの?と感じた内容でありました。なんか、なんかな。






COMMENT

あ~私も毎日のように違和感を感じながら見ておりましたが
hiroさんが見事に言葉にしてくれました
ありがとうございます
下手でも心がこもってたらいいというのは
すごく危険な一言やなぁと思いました
あの場合、娘が母親に送るのでいいですが
あの場面を見て勘違いしたいい大人が
これをやってはアカンのですよ
心がこもってるからといってもそれに対して
金銭の授受が発生する場合は
絶対あきません
メディアの力って怖いですから
勘違い野郎がたくさん出てくるんじゃないかと
思います
NAME
TITLE
MAIL
URL
PASS (削除時に必要)
SECRET 管理者にだけ表示を許可する
COMMENT&
DECORATION

TRACKBACK

トラックバック

http://gogo5hiroko.blog28.fc2.com/tb.php/479-8e782bc9

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

hiroko0619

Author:hiroko0619
刺繍と手仕事と日々のつれづれ


ねこシャツのご注文は現在お受けしておりません。

ねこシャツのご説明・ご注文受付等についてはこちら→

最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR